クレマチスの園芸文化史

日本のクレマチス

日本でのクレマチスの育種は初期には主に天然のカザグルマの採取選抜で、シーボルトの日本滞在期間(1823~1829、1859~1862)に収集し母国オランダに持ち帰ったものにはカザグルマの八重ほか園芸種と思われるものも含まれています。

 日本に海外の栽培種が輸入されたのは1910年頃と推定され、1913年にはカタログにモンタナ・ルベンス、ヘンリー、マダム・バロン・ヴェイヤール、ジャックマニ、ローソニアナなどの名前が見られます。

 以降戦前の1940年頃までにザ・プレジデント、ジプシー・クイン、現在マリー・ボワスローと呼ばれている現在マリー・ボワスローと呼ばれているマダム・バンホーテが輸入され、すでに戦前にはいくつかの日本人による園芸品種が作出されていたようですが、今に伝わるものはありません。

 播種による園芸種を作る試みは戦後1950年代のクレマチスブームに乗って急速に発展しました。

 1957年に荒井によって業者共通のカタログがはじめて作られ、これには当時最新花の江戸紫を始め白根、藤娘、天晴、藤波、白王冠、雲仙、天塩、蔵王、朝霞、千代鶴などの日本の作品15種とゆきおこし、風車、黄花の風車それに モンタナ・アンデレタ、クリムソン・キング、マダム・バロン・ビラール、ラモナ、ダッチェス・オブ・エディンバラなど輸入種7種が掲載されています。育種家としては、荒井、久保田、金子、桜井、林、鳥海などの名前がみられます。

 当時の増殖法はすべて根接ぎによるもので、生産効率が悪い上に前年枝を利用するため病源菌を持ち越すためか歩留まりも良くなく、愛好者の増加によって苗は売り手市場となり、当時の価格は新苗で200~500円という高値でした。

 これを解決したのは1960年頃より始まった挿し木法で、久保田による発案と小沢による実用化で、戦後の経済発展とともに愛好者は急激に増加しました。

 初期の栽培は地植えが主体でしたが、品種の多様化と住宅事情の変化から次第に鉢植えとして普及しました。

 クレマチスの普及に伴って従来は時として専門家によるものと思われ勝ちな育種も、クレマチスの趣味の一部として試みられるようになりました。

 初期の育種は自然に出来た種を蒔くだけでしたが1980年代後半からは両親を選別して交配を行うというより高度な育種法が取り入れられるようになり、さらに節の違った両親を選ぶ節間交配も行われてより多様な品種が作り出されています。



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