クレマチスの園芸文化史

クレマチスの交配

最初のクレマチスの交配は1818年、フランムラとヴィチセラの交配でした。まだ大輪の原種が導入される以前のことです。すでに当時交配による新しい栽培種を作るという概念があったのでしょう、バラの場合、近代の栽培種群が誕生する契機となったヨーロッパ在来種と中国種の四季咲きバラとの交配が1815年でしたが、このことからも当時交配が新しい品種を作る手段として登場したことが理解できます。

大輪種を使った最初の交配は英国のナーセリー経営者アンダーソン、ヘンリーによって1855年にカザグルマとラヌギノサで行われました。

その後まもなく1858年には同じくナーセリー経営者ジャックマン父子がヴィチセラの選抜種アトロルベンスとラヌギノサを交配してそれまでにない濃い紫色で生育旺盛な名花ジャックマニを作出しました。

バラの場合の東西融合による有香四季咲きバラの誕生と同様、クレマチスでも、欧州のヴィチセラと東洋のラヌギノサが交配されて、濃い紫で生育旺盛なジャックマニ系と呼ばれた新しい栽培品種群の基がここに誕生しました。

ジャックマニの発表は当時の園芸界に一大センセイションを巻き起こしました。これによってクレマチスの交配熱は一気に盛り上がり、その後東洋からのカザグルマ、ラヌギノサの持込も続いてカザグルマとラヌギノサ、カザグルマ、ラヌギノサとヴィチセラの原種間の交配はもちろん、これらとジャックマニとの交配も行われるようになりました。

輸入されたカザグルマの中にはいくつかの八重の品種があり、パテンス・ダブル、フォーチュネイなどがあって後の八重咲き大輪種群の元になりました。 輸入されたカザグルマの中にはいくつかの八重の品種があり、パテンス・ダブル、フォーチュネイなどがあって後の八重咲き大輪種群の元になりました。
フォーチュネイは当時クレマチス・フロリダ・フォーチュネイと呼ばれ、クレマチス・フロリダ(テッセン)と誤認されていたので、八重咲きの大輪種をフロリダ系とする呼び方がごく最近まで用いられていました。この品種の絵は残っていて、その説明と外観から、私たちが現在“ゆきおこし”と呼んでいるカザグルマの八重の選抜種と考えられています。

1860年から1890年までの30年は毎年多くの交配種が発表され、後にクレマチス交配の黄金時代と呼ぶ人もいます。

新たに持ち込まれたカザグルマやラヌギノサそのもの、またはこれを親にした交配種、それにジャックマニのいわば2匹目のドジョウを狙ったであろうヴィチセラとの交配種が多いのがこの頃の傾向です。特に八重のカザグルマ系の優秀な品種の多くはこの時代に作られました。

現在カタログにみられる1850年~1880年の作品としては、
ジャックマニ(1958ヴィチセラxラヌギノサ),
カザグルマ型で白地に美しい薄青の覆輪とフリルがあるレディー・キャロライン・ネヴィル(1866)、
ジャックマニと似たスター・オブ・インディア(1867ラヌギノサ x ジャックマニ)、
中輪多花、カザグルマ型のミス・ベイトマン(1869両親カザグルマ)、
オット・フレーベル(1869ラヌギノサ x カザグルマ)、
濃いビロウドのジプシー・クイン(1871カザグルマ x ジャックマニ)、
ローソニアナ(1873ラヌギノサ x カザグルマ)、
シーボルディアーナ(=ラモナ1874ラヌギノサ x ?)、
名花フェアリー・クイーン(1875)、
さらに日本にはおなじみの紫の名花ザ・プレジデント(1876ジャックマニ x カザグルマ)などがあります。

やがて八重の交配種も作られ
カウンテス・オブ・ラブレース(1874カザグルマ x ジャックマニ交配種)、
ダッチェス・オブ・エヂンバラ(1874 カザグルマ x ?)、
ベル・オブ・ウォーキング(1875ラヌギノサ x カザグルマ)、
プロテウス(1876ヴィチセラ x カザグルマ)はこの時代につくられました。

一方色についてはヴィチセラの選抜種であるヴィチセラ・ルブラの赤を取り込むことが験され、マダム・グランジェ(1875 ラヌギノサ x ヴィチセラ・ルブラ)はこれに成功した品種でジャックマニの草姿にヴィチセラ・ルブラのビロード赤を発現しました。

この記事のつづきのページへ






このページのトップへ