クレマチスの園芸文化史

大輪園芸品種の集合

クレマチスと人との係わり合いはさだかではありませんが、ともすればギリシャ・ローマ時代にはクレマチスが庭園に取り入れられていたのではないかという推測があります。この時代には人が花を愛ずるに足る文明があり、ちょうどその地方にキルロサという美しい原種があるからです。
実際に文献に最初に現れるのはこれよりはるかに後の1548年で、英国で出版された植物の解説書“The Name of Herds”に、英国自生の唯一の原種であるヴィタルバが“Hedge Vine”の名で記載されています。

一方栽培では1569年にある宮廷薬剤師がエリザベスⅠ世の庭にヴィチセラを植えたという記録がのこっています。この時代の英国は安定した統治下にあり、ヨーロッパ各地からの珍しい植物がこぞって庭園に植えられた時代でもありました。
スペインからのヴィチセラをはじめ、東ヨーロッパのインテグリフォリアやレクタ、南ヨーロッパからのキルロサ、フランムラは16世紀後半に英国に導入されたものです。一方15世紀に始まった遠洋航海の技術は16世紀に入ってさらに発展し、いわゆる大航海時代に入っていました。

貿易による経済の発展は豊な階層を作り、従来からの王侯貴族に加わって社交界が出来上がったのですが、彼らのなかで植物についての知識は教養のシンボルでした。そこで競って新しい植物を求めたのです。
しかし帆船による輸送は時間がかかる上に海流や天候によるトラブルが付物で、生きた植物を輸送するのは至難の業でした。大洋を横断してクレマチスが移動出来るようになるまでにはさらに百数十年の年月が必要でした。

1720年には大西洋を横断して、アメリカの原種ヴィオルナとクリスパがようやく英国に渡りました。テクセンシスの到着はこれより159年遅れて1879年で、後に大輪種に鮮やかな赤色出すのに使われます。 一方18世紀から始まった産業革命は蒸気機関や安価な板ガラスを実用化しました。蒸気機関は早く確実な遠洋航海を可能とし、板ガラスはワーディアンケースとなって、日照を受けながら潮しぶきが当たらない植物の海上輸送に貢献したのです。

当時はまだスエズ運河はなく、大西洋を南下して喜望峰からインド洋、太平洋に至る長い長い船旅だったのです。それまで大きな花のクレマチスといえばせいぜい直系5~7cm程度のヴィチセラかテッセンしか知らなかった欧州の人達が時には直系20cmを越えるカザグルマやラヌギノサを見たときの驚きはどうだったでしょうか。これが今日の大輪種群を形成する基礎になったのです。

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